桂子・好江の漫才コンビ時代から時流に敏感で、舞台でタイムリーな話題を織り交ぜて漫才を披露されていた、内海桂子師匠がお亡くなりになりました。
私が子供の頃には、すでにおばあさんだったイメージがあります。
相方が亡くなられてからも、一人で漫談をやったり、ずっと舞台に上がり続けられました。
人気漫才師「ナイツ」の話題によく登場していたので、若い方もご存知なのではないでしょうか。
そこで、こちらでは内海桂子師匠について、
・内海桂子の若い頃の活躍
・経歴(相方・弟子・息子・娘・旦那)を紹介!
・内海桂子の晩年の活躍
を調査していきます。
また、この記事の後半では、
内海桂子師匠についての動画を掲載しています。
ぜひ、合わせてチェックしてみてくださいね。
内海桂子の若い頃の活躍
出典:東京マガジン
戦後は、三枡家好子の芸名で遊芸稼業鑑札取得して、女子勤労挺身隊北支慰問班に加わり、奥満州まで巡業されていたそうです。
1950年に夫婦漫才荒川小芳・林家染寿の娘で、当時14歳の内海好江さんを弟子に取り、コンビを結成されました。
親子のような年齢で、二人で稽古を重ね、1958年には第4回NHK新人漫才コンクールで優勝されています。
その後は芸術祭奨励賞受賞や日本芸能実演家団体協議会功労賞表彰などたくさんの賞を受賞し、とうとう1989年には綬褒章を受章されました。
綬褒章ですよ。
天皇陛下から授与される勲章です。
経歴(相方・弟子・息子・娘・旦那)を紹介!
出典:スポニチ
24歳も年下の男が、なぜお母さんくらいの女性と結婚したのか?
旦那さんが24歳も年下の芸人さんだとわかったとき、驚きました。
騙されてる?
財産ねらい?
いろいろな憶測が私の頭の中で飛びましたが、結局旦那さんである「成田常也」さんは最後まで奥さんである、内海桂子師匠を支えられました。
口が悪い内海桂子師匠が、旦那さんをボロカスに言っているのを聞いたことがあります。
家庭内別居だと言って、師匠はベッドに寝ていましたが、旦那さんはリビングみたいな部屋の片隅で、毛布にくるまって寝ていましたね。
それでも、旦那さんにはこの家を残してあげると言ってましたよ。
旦那さんも、内海桂子師匠が危篤のとき、自身も脳出血で入院中でしたから、これからの体のこと、精神面などが心配ですね。
内海桂子師匠のプロフィール
生年月日:1922年9月12日
没年月日:2020年8月22日(97歳没)
出身地:東京都台東区浅草
血液型:A型
コンビ名:内海桂子・好江(1950年 – 1997年)
芸風:都々逸、漫談、軽口
事務所:マセキ芸能社
活動時期:1938年 – 2020年
配偶者:成田常也
弟子:笑組・ナイツ
受賞歴
1961年 芸術祭奨励賞受賞
1980年 日本芸能実演家団体協議会功労賞表彰
1982年 芸術選奨文部大臣賞受賞
1987年 第15回日本放送演芸大賞功労賞受賞
1988年 花王名人劇場功労賞受賞
1989年 紫綬褒章受章
1990年 第7回浅草芸能大賞受賞
1994年 第45回放送文化賞受賞
1995年 勲四等宝冠章受章
2001年 第1回笑芸人大賞受賞
相方は言わずと知れた、内海好江師匠です。
約半世紀にわたって、音曲漫才コンビ内海桂子・好江(1950年 – 97年)を組んで人気となりました。
私はコンビの軽快な江戸弁が好きでした。
いかにも東京らしい、勢いのある言葉遣いで漫才をしていて、おもしろかったです。
ちなみに、私は好江師匠のファンでした。
桂子師匠はなんだか取りつきにくくて怖かったけど、好江師匠は気軽に話せるような雰囲気がありました。
好江師匠は14歳で、桂子師匠に預けられる形でコンビを組んだんですね。
残念ながら、好江師匠も先年胃癌でなくなられました。
若かったし、桂子師匠もきっと気落ちされたことでしょう。
今は、あちらで久しぶりの漫才をやっているかもしれませんね。
弟子で有名なのはナイツです。
ナイツの二人が、師匠をわきで支える姿に、師弟愛がに滲み出ていると思いませんか?
塙さんの師匠を見る目に、すごい愛情を感じるんですけど。
たぶん、塙さんの心のおっかさんなんでしょう。
1941年、桂子師匠が20歳のときに息子さんが誕生しています。
いまでいう、シングルマザーです。
1941年に高砂家と志松との間に長男が誕生しましたが、相手に奥さんがいたので事実婚になりました。
しかしその後、高砂家と志松とコンビ解消。
残念ながら、この息子さんは52歳で食道がんにより他界されています。
1946年に林家染団治一門の林家染芳(後の林正二郎)とコンビを組み、長女が誕生しました。
しかし戦後の混乱で、婚姻届が不受理になり未婚のままでした。
だから、成田常也さんとの結婚が初婚扱いになっています。
内海桂子の晩年の活躍
成田常也さんは最後まで内海桂子師匠を支えられました。
有名な活動が、師匠のツイッターです。
2010年8月からツイッターを始められました。
90歳を超える高齢ながら、今どきのSNSに挑戦。
実際にツイッターを打ち込むのはマネージャーでもある旦那さんの役目。
師匠の言葉を発信し続けました。
2010年には、あした順子・ひろしの順子とコンビとして活動開始しました。
コンビ名が面白いんです、
AKB48(A – あした順子、K – 内海桂子、B – ババア、48 – シワだらけ)
それでも97歳、大往生ですね。
漫才というのは大衆的な芸で、漫才師として多くの芸人が大スターになってきました。しかし、芸能として突き詰める名人タイプのコンビは少ないように思います。桂子好江のご両人は漫才の名人でしたね。
ナイツ塙すべらない話「師匠の話」
話の前半で、うわぁめんどくさそうな師匠だなぁ‥と思ったけど、話の終わりで可愛くて大好きになった(笑)
まとめ
さて、ここまで内海桂子師匠について
・内海桂子の若い頃の活躍
・経歴(相方・弟子・息子・娘・旦那)を紹介!
・内海桂子の晩年の活躍
について調査してきました。
いかがでしたでしょうか?
女流漫才師として、東京のお笑い界を牽引されていました。
97歳というお年で、本当の大往生でしたね。
最後まで、舞台にあがられていましたから。
色んな人生があるけど、すてきな大往生ではないでしょうか。
お疲れ様でした、ありがとうございました。