私は最近、司馬遼太郎のファンになりました。
しかし、残念ながら沈壽官が主人公という「故郷忘じがたく候」をまだ読んでいません。
さっそく、図書館に行ってみるつもりです。
島津義弘によって朝鮮国から連行された「被虜人」であった沈壽官は、日本の薩摩焼の創始者であり、その末裔の15代沈壽官まで、営々と薩摩焼が受け継がれています。
世界で認められる白薩摩は本当に美しい焼き物です。
そこで、こちらでは沈壽官について、
・沈壽官とは?
・司馬遼太郎の小説から紐解く14 代
・沈壽官15代目について
を調査していきます。
また、この記事の後半では、
沈壽官についての動画を掲載しています。
ぜひ、合わせてチェックしてみてくださいね。
沈壽官とは?
沈壽官(ちん じゅかん / シム スグァン(심수관))は、鹿児島県日置市東市来町美山(旧・苗代川)に窯元を置く薩摩焼の陶芸家の名跡です。
現在、第15代目の一輝氏が沈壽官を襲名しています。
一輝氏(15代沈壽官)は1983年に早稲田大学を卒業後、1988年にイタリア国立美術陶芸学校を修了しています。
沈壽官家の始祖である「初代・沈当吉」は慶長の役の際、慶長3年(1598年)に島津義弘によって朝鮮国から連行された「被虜人」の一人です。
島津義弘は、天下分け目の関ヶ原の戦いで、徳川家康率いる東軍を敵中突破した戦国最強武将で「鬼島津」の威名を持ちます。
「初代・沈当吉」は豊臣秀吉の朝鮮役で、朝鮮から連行された天才陶芸家で、彼の子孫は、他の被虜朝鮮人の子孫と同様に朝鮮風の氏名を代々受け継ぎ、苗代川に居住することを薩摩藩から命じられました。
司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」の主人公はまさに第14代の沈壽官本人です。
2004年鹿児島で、日韓首脳会談があったとき、ノムヒョン大統領が、日置市の美山にある15代目沈壽官さんを訪れました。
韓国の大統領が直接、韓国最高の賞を沈壽官に手渡されたそうです。
また、小泉元総理も沈壽官のファンだそうです。
第14代の沈壽官はパリやアメリカの万博で銅賞を受賞した、世界的にも有名な陶芸家なんですね。
【沈壽官】の壺の相場とは?
沈壽官は世界有数の賞を沢山受賞し、その作品は世界に名高い壺として有名ですが、いったいどれくらいのお値段がするのでしょうか?
下世話な話でごめんなさい!
オークションは一般愛好者も参加し、プロも参加しています。
希望者が競り合うと高くなることがありますし、希望者が一人ならば価格の8割程度で落札されることもあるようです。
また、古美術商が落札して客先に売る場合は、落札価格よりも5~10割はアップすると思われます。
高さ50cmほどの花瓶で沈壽官の彫り名がある場合は50~70万円だそうです。
色絵などを弟子や被雇用職人が描いた場合は、印鑑名が高台に押されている高さ20cm程度のもので10~15万円くらいです。
25cmくらいの花瓶で、簡素な色絵が描かれたもので10万円前後らしいですよ。
現地の本家本元、鹿児島県伊集院に直接行って、本物を見てみたいものです。
現地では、2000円台〜26万円台までまちまちですが、予算に応じて買えるようです。
お土産用にマグカップなどが人気らしいので、それくらいなら庶民でも買って帰れそうですね。
司馬遼太郎の小説から紐解く14 代
出典:毎日新聞
秀吉の時代、「朝鮮出兵」した際に島津藩が数十人の朝鮮人を日本に連れてきたその中に、青磁器職人の一族で朝鮮の貴族階級に属する人々がいたそうです。
彼らは青磁器の技術を現代まで継承し薩摩焼というブランドを築き上げました。
薩摩藩は彼らを武士階級として優遇しましたが、彼らは日本名はなのらず、城下にも住まわず、祖国の面影を残す山村に住み祖国名で最後まで通したそうです。
その一族の末裔である14代沈寿官氏は、青磁器の技術とその作品が認められ、戦後韓国の大学に招かれ講演されました。
司馬遼太郎氏は、初めは小説にするために、沈壽官氏の取材を行ったようです。
しかし、取材での14代沈寿官氏その人との邂逅、触れ合い、そして沈氏一族に課せられた
その重厚過ぎる歴史を感じ、小説というものでは表現しきれない、と思われたのでしょう。
何の脚色もない、見聞きした事実だけを記す随想の形で、事実のみを「故郷忘じがたく候」で語られています。
沈氏の朴訥とした人柄の描写、口述を通じて、300有余年の長大な歴史をあくまでも淡々と記されました。
司馬遼太郎氏の文章は格調高く、品格に満ちています。
現地へ赴き、一言一句推敲を重ねる作家のストイックな姿勢がなせるわざかと思われます。
沈壽官の葬儀
沈壽官さんが16日肺炎のため逝去されました。
92歳でした。
故沈壽官さん(ちん・じゅかん=薩摩焼宗家14代、本名大迫恵吉〈おおさこ・けいきち〉)の葬儀は2019年19日午前11時から鹿児島市大竜町10の2の吉田葬祭典礼会館新世館で執り行われ、喪主は長男15代沈壽官(本名大迫一輝〈おおさこかずてる〉)さんでした。
当日は、約400人が別れを告げ、作陶だけでなく、日韓親善にも力を尽くした生涯を反映して、会場には韓国の参列者の姿や献花が見られました。
弔辞を読んだのは、長く親交のあった韓日協力委員会の李大淳(イデスン)理事長です。
「常日頃から、韓日両国がアジアの平和の礎にならなければ、と言っていた」と振り返り、「重荷をすべて下ろし、安らかに眠ってほしい」と遺影に語りかけました。
沈壽官15代目について
第15代目の一輝氏は、薩摩焼の宗家として名高い沈壽官窯の当主第14代沈壽官の長男として、1959年に生まれました。
幼い頃から、父の感化のもとに薩摩焼をはじめ、広く陶芸に親しんでいます。
一輝氏は早稲田大学を卒業後、京都市立工業試験場修了。
その後、1985年京都府立陶工高等技術専門校を修了しました。
1988年イタリア国立美術陶芸学校のファエンツァ校専攻科を卒業し、1990年大韓民国 京畿道の金一萬土器工場で修業しています。
1999年400年の沈家の歴史の中で、初めて先代(14代)の存命中に、第15代沈壽官を襲名しました。
現在は、全国の有名百貨店、美術画廊にて「15代沈壽官展」を開催しています。
薩摩籠目透蓋香爐 鳳凰
15代沈壽官作<薩摩籠目透蓋香爐 鳳凰>は、貴重な襲名20周年記念作品です。
優美な尾を振り立て、悠然と翼を広げる鳳凰は、泰平の世の到来を寿ぐ伝説の瑞鳥。
古より聖帝の象徴とされてきたその姿を、15代は伸びやかに描き上げ、めでたい半七宝紋や瑞雲が高雅な気韻を添えています。
さらに圧倒されるのが、火屋(蓋)の天面と底面に施された精巧極まる籠目透かし彫りです。
自作の剣先を使い分けながら、一刀一刀寸分の狂いもなく彫り抜いていく超絶技巧は、まさに圧巻。
興味がある方は、薩摩焼宗家 15代 沈壽官 襲名20周年記念で確認してみてください。
ちなみに、35万円くらです。
これはものすごく価値が上がると思われます。(素人談義ですけど…)
まとめ
さて、ここまで沈壽官について
・沈壽官とは?
・司馬遼太郎の小説から紐解く14 代
・沈壽官15代目について
について調査してきました。
いかがでしたでしょうか?
司馬遼太郎と14代沈壽官との絶妙の語らいは両者の人柄がしのばれます。
14代沈壽官さんは薩摩で最も薩摩人らしい人だったといわれています。
本当のさつま弁をしゃべれる人でしたから。
理不尽に連れてこられたにもかかわらず、日本に陶芸を教えてくれたことに感謝したいですね。