辰吉丈一郎の強さと成績を思い出そう! 支え続けた嫁の画像(今・昔)!

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辰吉丈一郎 強さ スポーツ

明日のジョーを思い出させるボクサー!辰吉丈一郎の今は?
現在、何をしているのでしょうか?

息子の辰吉寿以輝(じゅいき)さんはプロボクサーになられています。

辰吉丈一郎が大阪で人気沸騰のころ、知り合いが薬師寺保栄との試合をリングそばで見ていました。
ちょっと、うらやましかったのですが、辰吉丈一郎は負けてしまいましたね。

負けが決まったとき、薬師寺保栄を担ぎ上げた男気に、偉いなぁと感心したことを思い出しました。

辰吉丈一郎は、矢吹ジョーそのものでしたね。

 

そこで、こちらでは辰吉丈一郎さんについて、
・辰吉丈一郎の強さと成績を思い出そう!
・支え続けた嫁の画像(今・昔)!
を調査していきます。

また、この記事の後半では、
辰吉丈一郎さんについての動画を掲載しています。
ぜひ、合わせてチェックしてみてくださいね。

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辰吉丈一郎の強さと成績を思い出そう!

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Book Cover Challenge 5日目 🔷波乱万丈🔷辰吉丈一郎 派手なパフォーマンスに子供ながらこの方の虜になった❤️ 後にも先にも最高のボクサーである 参加方法 【自分の好きな本を1日1冊、7日間投稿する】 読書文化の普及に貢献する目的とのこと ルール ・本についての説明はナシで表紙画像だけアップ ・その都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする ・スルーぜんぜんOK&次の人を指名するかどうかは気分次第 #BookCoverChallenge #7days #7bookcovers #まるボクシングジム #まる文庫 #辰吉丈一郎

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辰吉丈一郎(たつよし じょういちろう)のプロフィール

生年月日:1970年5月15日
出身:岡山県倉敷市
中学校:倉敷市立味野中学校
所属:大阪帝拳ジム
成績:第50代日本バンタム級、元WBC世界バンタム級王者
愛称:浪速のジョー
父:辰吉粂二(くめじ)

 

辰吉丈一郎の両親は、生後間もなく離婚しているので、辰吉丈一郎は父に男でひとつで育てられています。

丈一郎少年は子どもの頃、壮絶ないじめにあい、父の粂二さんから喧嘩の手ほどきを受けます。

粂二さんは、構える手の高さは胸の前あたりの方が、相手全体を見渡したり攻撃をかわしたりしやすく、また、喧嘩の相手をつかんだり凶器を奪ったりしやすい、と教えたそうです。

試合中にガードが下がることが多く、「なんで?もっとしっかりガードせんとあかんやん!」と応援中に思った方も多いはず!
私も、ガードあき過ぎじゃん!とハラハラしたものです。

これは、粂二さんから受けた喧嘩の手ほどきからきている癖だといわれています。
無意識にガードが下がっていたようです。

辰吉丈一郎自身は、「喧嘩では相手がオーソドックスの場合に右足で蹴ってくる場合が多く、左手を下げておくことで蹴りを払い、右手でパンチを繰り出すことができるからだ。」と言っています。

喧嘩ばっかり、していたんですね。
おかげで、喧嘩では負けたことがないらしいですから。
これくらいになると、いじめもなくなります。

辰吉丈一郎の主な成績

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#辰吉丈一郎

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辰吉丈一郎の主な成績

日付 対戦相手 備考
1989年9月29日 勝利 崔相勉 プロデビュー戦
1990年9月11日 勝利 岡部繁 日本バンタム級タイトルマッチ
1991年9月19日 勝利 グレグ・リチャードソン WBC世界バンタム級タイトルマッチ
1992年9月17日 敗北 ビクトル・ラバナレス WBC世界バンタム級王座統一戦
1993年7月22日 勝利 ビクトル・ラバナレス WBC世界バンタム級暫定王座決定戦
1994年12月4日 敗北 薬師寺保栄 WBC世界バンタム級王座統一戦
1996年3月3日 敗北 ダニエル・サラゴサ WBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチ
1997年4月14日 敗北 ダニエル・サラゴサ WBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチ
1997年11月22日 勝利 シリモンコン・ナコントンパークビュー WBC世界バンタム級タイトルマッチ
1998年3月8日 勝利 ホセ・ラファエル・ソーサ WBC防衛1
1998年8月23日  勝利 ポーリー・アヤラ WBC防衛2
1998年12月29日 敗北 ウィラポン・ナコンルアンプロモーション WBC王座陥落
1999年8月29日 敗北 ウィラポン・ナコンルアンプロモーション WBC世界バンタム級タイトルマッチ
2002年12月15日 勝利 セーン・ソー・プロエンチット
2003年9月26日 勝利 フリオ・セサール・アビラ
2008年10月26日 勝利 パランチャイ・チュワタナ
2009年3月8日 敗北 サーカイ・ジョッキージム

 

辰吉丈一郎は、アマで数試合をこなした後、プロ転向しましたが、この頃から辰吉の試合記事は関西地区のスポーツ新聞に写真入りで報じられていて、その才能は早くから注目の的でした。

その後の試合後のインタビューでは「この試合は通過点」と世界王座へのこだわりを見せています。

1991年、WBA世界ジュニアバンタム級(現・スーパーフライ級)2位のレイ・パショネス(フィリピン)とバンタム級で対戦しました。
この時は、辰吉のフットワークとジャブを駆使して相手を寄せつけずにアウトボクシングした試合を評価する声が多かったものの、当の本人はKOできなかった悔しさからリング上で涙をこぼしています。
この、泣いたシーンは私でも覚えていますね。

1991年、世界初挑戦。WBC世界バンタム級王者グレグ・リチャードソン(米国)に挑みました。

WBC世界バンタム級王者グレグ・リチャードソンを相手に終始優位に試合を進め、10回終了TKO勝ちしています。
平成デビューのボクサーとして初の世界タイトル獲得でもありました。

3ヵ月後、左眼の異常を訴えたため、大阪市内の病院で検査した結果、「網膜裂孔」の診断を受け、そのまま入院・手術をしています。

その後も、怪我や網膜剥離が判明して、とうとう日本ボクシングコミッション (JBC) ルールにより試合ができなくなりました。

手術は無事に成功し、退院後に現役続行の意思を表明しました。
帝拳プロモーション会長・本田明彦等の尽力により、WBCから返上していた暫定王座を再び与えられ、JBCでも特例で辰吉の現役続行が許可されました。

執念とか、根性とかいう言葉では表せないくらいの苦しい状況だったと思われます。
これで、やっとWBC世界バンタム級正規王者薬師寺保栄との統一戦が実現しました。

辰吉人気はすさまじく、圧倒的優位を予想されましたが、フルラウンドにわたる死闘の末、12回判定負けを喫し暫定王座から陥落しました。

辰吉を応援していた私としては残念だったのですが、薬師寺保栄も強かったです。

その後、通算5度目の世界挑戦をして、約5年ぶりの世界王座返り咲きを果たしました。

しかし、1998年12月29日、3度目の防衛戦。元WBA世界バンタム級王者でもあるウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)と対戦。迎えた6回でウィラポン・ナコンルアンプロモーションの左をまともに浴びてダウン。

辛くも立ち上がったものの、挑戦者の激しい追撃に襲われ、何発もパンチを浴びて、最後は挑戦者の右ストレートを左のこめかみに受け、仰向けに崩れ落ちました。

ノーカウントで試合をストップされ、完全失神KO。3度目の世界王座陥落。

 

もう、矢吹ジョーを見ているようでしたね。
私の心の中で、辰吉丈一郎は不滅です。

その後もトレーニングを続け、3年以上もの期間を要して再起を果たします。
根性の人、執念の人、でしょうか?
2002年に復帰戦を果たします。

元WBAフライ級王者のセーン・ソー・プルンチット(タイ)を相手に復帰戦を行い、7回TKO勝ちを収めました。

大阪帝拳ジムからは引退を示唆されましたが、本人は拒否。
現役続行にこだわり続けました。

その後の復帰戦ではTKO負けをしていますが、「俺はまだ終わっとらん」とあくまで現役にこだわり続けています。

 

辰吉に喧嘩を教えてくれた父粂二さんは1999年1月に他界されました。

辰吉は、初めて世界タイトルを獲ったリチャードソン戦の試合直後に、第一声でテレビカメラに向かって、「父ちゃん、やったで!」とコメントしています。

お父さんが大好きだったんですね。

 

辰吉丈一郎 強さ

出典:http://0101bbs.net/archives/1090.html

 

現在、辰吉は50歳を超え、次男・辰吉寿以輝が大阪帝拳ジムからプロボクサーとしてデビューしています。
親子の絆は続いていますね。

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支え続けた嫁の画像(今・昔)!

辰吉丈一郎 強さ

出典:ラヴォール

 

辰吉を支え続けたるみ夫人は今でも辰吉を支えていますね。
夫婦愛の強い方で、生まれ変わっても辰吉丈一郎の嫁になると宣言したのは有名です。

若い頃はすごくかわいらしい方でした。

 

るみ:若い時はすごいケンカしてたけど、小さいこと言い合っているうちに何が原因だったか忘れて。だから大きなケンカにはならんよね。寿以輝(じゅいき=次男)がおなかにいて不安になって、(ボクシングを)もうやめてほしいと頼んだ時も、ジョーちゃんは「わかった」と言いながら夕方には「行ってきます」とジムに行く。で、こっちも「行ってらっしゃい」と見送った。

辰吉:その時だけは、やめないならどうしても離婚すると言ってた。あまりに離婚、離婚と言うから、離婚を経験してみたいんやって思って。なら離婚してみよう、もう一回プロポーズして再婚しようって言った。

るみ:変なところポジティブやからなあ。

本当に仲の良さが伝わってきます。

 

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辰吉氏( ´∀`) #辰吉丈一郎

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現在はプロボクサーになった次男、寿以輝(じゅいき)を応援しています。
寿以輝さんはすでに結婚されていて、子供さんもいますよ。

辰吉丈一郎を陰で支え続けた嫁は、今度はしっかりと息子の応援に回っているようです。
寿以輝さんの勝った試合で、涙を流す母になっていましたね。

 

” 浪速のジョー ” 辰吉丈一郎 全キャリア 28試合(1989~2009年)です。

 

さすがにコメントが的確です。過剰評価もしないし冷静に見てます。

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まとめ

さて、ここまで辰吉丈一郎さんについて
・辰吉丈一郎の強さと成績を思い出そう!
・支え続けた嫁の画像(今・昔)!
について調査してきました。
いかがでしたでしょうか?

辰吉丈一郎は私たちのヒーローでしたよ。
日本中が、浪速のジョーを応援していましたから。

その分、薬師寺保栄さんはやりにくかったでしょうね。
でも、彼も辰吉丈一郎に勝ったことで光が当たりましたね。

 

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