小野正嗣(芥川賞作家)の経歴(高校・大学) や家族(父母・兄・嫁)を調査!

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小野正嗣 経歴 芸術

芥川賞作家の小野正嗣さんは、「賞を狙って書く人なんていない。書き手はみんな、いいものを書きたいという気持ちしかない。」とおっしゃます。

そうでしょうね。
でも、受賞すると結果的に多くの人に読んでいただけるので、たいへんありがたい、とも言われます。

芥川賞や直木賞が発表されると、本屋さんに行くと受賞作が平置きされています。
売れる本は、店頭に積んで並べられるんですね。

私も本が大好きなので、芥川賞や直木賞には興味津々です。

小野正嗣さんは、何度も芥川賞にノミネートされています。
そして、とうとう受賞されました。

 

そこで、こちらでは小野正嗣さんについて、
・小野正嗣(芥川賞作家)の経歴(高校・大学)を調査!
・家族(父母・兄・嫁)はどんな人?
・小野正嗣の作品
を調査していきます。

また、この記事の後半では、
小野正嗣さんについての動画を掲載しています。
ぜひ、合わせてチェックしてみてくださいね。

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小野正嗣(芥川賞作家)の経歴(高校・大学)を調査!

小野正嗣 経歴

出典:WEBきらら

小野正嗣さんのプロフィール

名前:小野正嗣(おのまさつぐ)
生年月日:1970年11月27日
出身地:大分県南海部郡蒲江町(現佐伯市)
高校:大分県立佐伯鶴城高等学校
大学:東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退
配偶者:あり
子供:1男3女

 

経歴

1996年:新潮学生小説コンクールでデビュー
2001年:「水に埋もれる墓」で第12回朝日新人文学賞受賞
2002年:『にぎやかな湾に背負われた船』で第15回三島由紀夫賞受賞
2003年:「水死人の帰還」で第128回芥川龍之介賞候補
2006年:に東京大学教養学部助手、2007年に明治学院大学文学部専任講
師に就任(現代フランス語圏文学)
2008年:「マイクロバス」で第139回芥川龍之介賞候補。早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞し、『獅子渡り鼻』で第35回野間文芸新人賞候補。
2012年:朝日新聞書評委員に就任
2013年:「獅子渡り鼻」で第148回芥川龍之介賞候補。
2013年:准教授
2014年:立教大学文学部文学科文芸・思想専修准教授
2015年:「九年前の祈り」で芥川龍之介賞受賞。
2016年:立教大学文学部文学科文芸・思想専修教授。放送大学客員准教授。

 

小野正嗣さんの、芥川賞受賞作は「九年前の祈り」です。
4度目のノミネートでした。

故郷でもあるリアス式海岸の海辺の集落を舞台にした4作が収録されています。

「九年前の祈り」の巻頭の献辞には「兄、史敬に」と書かれています。
これは、昨年亡くなられたお兄さんへ捧げる作品集なんですね。

兄、史敬さんは2013年6月に脳腫瘍と診断されました。
1年という余命宣告を受けて、手術後は自宅で療養されていました。

お兄さんは、残念ながら亡くなられましたが、そんな時期に「九年前の祈り」は執筆されました。
作品の中で死について書くことで、お兄さんの死を払いのけたいという思いがあったそうです。
小野正嗣さんは、この作品で受賞できたのはよかったという気がします、とおっしゃっています。

 

 

お兄さんが亡くなられて、ご両親もどんなに気落ちされたことでしょうね。
小野正嗣さんはお兄さんを想い、お兄さんに感謝の気持ちをもたれておられますね。

「兄は昔からずっと僕を応援してくれたんです。ずっと独身で、肉体労働をして汗水たらして得たお金で僕を支援してくれた。2013年の6月に脳腫瘍と診断され、手術しても1年という余命宣告を受け、手術後は自宅療養して春には地元での野球のオープン戦を見に行けるくらいになりました。でも最後2か月くらいは入院して、昨年6月に亡くなりました。両親も僕も最期に立ち会えたことが不幸中の幸いでした」

いい兄弟ですね。

小野正嗣さんは学生の頃から小説を書いていて、1996年に新潮学生小説コンクールで奨励賞を受賞されています。

さらに、フランスに留学中に書いた「水に埋もれる墓」で、2001年に朝日新人文学賞を受賞されています。

 

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家族(父母・兄・嫁)はどんな人?

小野正嗣 経歴出典:UUALプレミアム

父、小野紘さん
母、小野正子さん
兄、史敬さん(享年46歳)

 

小野正嗣さんのお母さんは、とにかくよく働く人だったそうです。
小野正嗣さんが幼い頃は、主に養殖真珠の作業場で核入れ職人として働かれていました。
その後、化粧品の販売、建設作業での食事作り、ヘルパーと、ずっと働きづくめだったそうです。

お母さんが食事作りをされていた建設現場は、お父さんやお兄さんが出稼ぎに行った、建設作業の宿舎なんですね。
お兄さんは、汗水たらして肉体労働をして、ぼくを支えてくれたと、小野正嗣さんは感謝されています。

小野正嗣さんが幼い頃は、お母さんを喜ばせたくて、お兄さんと一緒に洗濯物を畳んだり、お風呂掃除をしたりしていたそうです。

愛情を持って育てられているからこそ、愛情をお母さんに返そうとするんですね。
本当に、いい親子関係の家庭ですね。

また、家族について小野正嗣さんは、「小さいときに家族でしっかりと会話を重ねてコミュニケーションを取っていると、“会話の貯金”みたいなものがあるからか、反抗期を過ぎたらまた自然と会話が戻ってくるような気がします。」とおっしゃいます。

 

奥さんの情報はあまりありません。
大阪にご実家がある、ということくらいしかわかっていません。
勝手な想像ですが、明るくていい方でしょうね。

子供さんは、男の子が一人と女の子が二人です。

 

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小野正嗣の作品

小野正嗣 経歴出典:朝日新聞

 

代表的な作品

「水死人(すいしにん)の帰還(きかん)」・・・(『文學界』平成14年/2002年10月号)
「マイクロバス」・・・(『新潮』平成20年/2008年4月号)
「獅子渡(ししわた)り鼻(ばな)」・・・(『群像』平成24年/2012年11月号)
「九年前(きゅうねんまえ)の祈(いの)り」・・・(『群像』平成26年/2014年9月号)

 

九年前の祈り・・・レビューから

正式に籍を入れていなかったカナダ人の男に去られシングルマザーとして郷里の大分に帰ったさなえ。まだ幼い息子の希敏(けびん)はハーフゆえ天使のような外見ながら、母親であるさなえとすら意思の疎通が難しく、突然ミミズのようにのたくって泣き叫ぶ。温厚な元教師の父、迷信深いけれど現実的な母、閉鎖的なムラ社会。その中でだたでさえ難しい息子を育てる苦しみ。さなえが思い出すのは、9年前に町の企画で一緒にカナダ旅行に行った数人のおばちゃんたち、そのなかでも陽気で優しかった「みっちゃん姉」のこと。当時まだ若く未婚だったさなえには理解できていなかったが、みっちゃん姉はやはり障害を持つ息子の子育てのことで苦労していたのだった。

世代に関係なくいつの時代も子育ては大変だし、結局時代が変わっても同じことの繰り返しなのだということが、進歩がないという嘆きよりも逆に、これはもう仕方ないこと、私だけの不幸ではない、という妙な安心感につながっているような印象を受けた。個人的にはさなえの母親や、かつて一緒に旅行にいったおばちゃんたちの独特のパワフルさが、いきいきしていて良いと思った。さなえの母はとくに、自分の母親と重ねてしまった。娘を傷つけたいという悪気はまったくないのだろうけれど、母親という生き物のいや~な部分をたっぷり持ちつつ、それなりに娘や孫を愛していないわけではなくて、ときにその限りない現実主義に救われもする。けれどふとした言葉の端にやっぱり「娘の幸せが気に食わない」潜在意識下の同族嫌悪がにじみ出る感じ。

表題作以外の短編も同じ場所を舞台にしていて、登場人物も関連している。他作品もすべて読むことで世界観が深まるのは良かった。単品としてはラストの「悪の花」が一番好みだったかな。なんだろう、近所の誰の事も幾つになっても「○○兄」「○○姉」と呼び合うところとか含め、ちょっと中上健次の路地的な雰囲気があった気がする。

 

 

平成27年2月、大分県立佐伯豊南高校で芥川賞を受賞した作家・小野正嗣さんの講演会が行われました。小野さんが同校の校歌を作詞したことが縁で実現した、この講演会の模様をお送りします。

 

(全録)芥川賞・小野正嗣さん、直木賞・西 加奈子さんが会見

 

まとめ

さて、ここまで小野正嗣さんについて
・小野正嗣(芥川賞作家)の経歴(高校・大学)を調査!
・家族(父母・兄・嫁)はどんな人?
・小野正嗣の作品
について調査してきました。
いかがでしたでしょうか?

インタビューを聴くと、小野正嗣のお人柄が伝わってきますね。
家族思いで、とりわけ46歳で亡くなられたお兄さんへの思いが伝わってきました。

 

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